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Side readers : 01 「賢人夜話(前)」

賢人夜話

「カレーでもごちそうしてくれ」
冗談のようにそういっていた賢人、
オロが、ある夜ダルシムを訪れる。
ダルシムの妻の手料理でもてなされたその後、オロは静かに問う。
「力とは何か」

賢人夜話(前)

 月のない、夜だった。

 夕餉の後、チャイのお代わりに首を振った客人を、主はポーチへと誘った。空気にはまだ少し、昼間の熱気の名残がある。風の通るポーチは、夜のひとときを過ごすのにちょうど良い場所だった。

「いやあ、旨かった。やっぱり本場のカレーは最高じゃな。インド人もびっくりじゃ」

 客人がひょうひょうという。まばらな頭髪を風になびかせ、ぼろとしか言いようのない布ただ一枚を身につけた老人。

 名を、オロといった。

 仙人である。

 ふふ、と主が笑う。ヒンドゥーの僧侶然とした姿。ダルシムという。

「ご満足いただけたようで、何よりです」

 カレーではなく、マスール・ダールだとはいわない。サリーの作る豆の煮込みはこの州で一番だが、老仙人がカレーと呼ぶならカレーで構わない。

 そんなことより。

 ダルシムは静かに、オロと正面で向き合う。齢百と四十を数える、道を究めた仙人が、ただ夕食をたかるために、修行僧の自分を訪ねたのではあるまい。そのことがダルシムにはわかっている。

 だが、そうなのかとは聞かない。ただ待った。

「ふむ......」

 少しの沈黙の後、夜に向かって話すように、オロが切り出す。

「ぬしは、どう思う? サイコパワーとやらについて」

 予想外の言葉ではなかった。

 かつて、世界を覆わんとする強大な悪の組織があった。

 シャドルー。

 その首魁たる男が欲し、求め、身につけた悪しき力。その気配が今また現れつつあることを、ダルシムも感じていた。

 その力を目のあたりにし、受け止め、闘った身として、ダルシムは応える。

「人が手にするには、危険すぎる力、と」

 にょほっ。仙人が笑う。

「おもしろくない答えじゃな」

 まじめすぎて、つまらん。そういって、オロは続ける。

「ならば、もうひとつきくが、ヨーガの力はどうじゃね? あれは、人にとって危険のない大道芸か何かか?」

 ダルシムはむっとしかける。己が命も惜しまず研鑽を積んでいるヨーガを茶化されて、心静かではいられない。けれども、すぐに思い直す。老仙人のいつもの手だ。挑発には乗らない。

「いえ、老仙。ヨーガの力も、使い方を誤れば危険なことに違いはありません」

「ま、そうじゃな」

 ダルシムをからかえなくて残念というようにオロは肩をすくめる。

 それから、おもむろに、固めた拳を体の前に突き出した。

 何気ないその動作が、すうと夜の空気を動かすのをダルシムは感じる。

 とても、老人のものと思えない質量を備えた拳。千回のその千倍もの突きで、まさに打ち出した巌のようなフォルム。余計な力みなく、自然に握り込まれたその手が、見る間に青白く燐光を放つ。"気"の力。鍛錬と修養。ひたすらに強くあらんと高みを目指す格闘家がやがて至る、肉体を超えた力。次第に明るさを増す老仙人の闘気に、ダルシムは目を細める。

 ぱ。

 瞬間、老仙人は拳を開く。正拳を突き出す動作には移らない。もとより、闘うモードにはなっていない。今は。

 拳に集まっていた青白い光は、蛍火のように、夜の暗がりに四散した。

「今のは、おなじみ"気"の力。このぐらいは、ほんの小僧ッ子でも使ったりしよるなあ」

「そう、ですね」

 ダルシムは応じる。

 気の使い手には、幾人も思い当たった。老仙人から見れば小僧かもしれないが、いずれも修練を積んだ格闘家ファイターたちだ。

「では、次に......」

 これはどうじゃ。

 すうと、オロの目が半眼となる。

 腰を低くおとして、構える。

 細く長い呼吸をひとつ。

 ふたつ。

「......!」

 空気が、変わった。

 我知らず、ダルシムは防御の構えを取っている。

 いや、取らされている。

 ぬるり。

 空気が動く。

 夜を闇ごと引きずるような気配に撫でられて、ダルシムの肌が粟立つ。

 こおおおお。

 オロの呼吸はいまや、地鳴りのごとく空間を震わせ。

 常より表情の読めない双眸は、肉食獣のそれのように、紅い。

 そうして。

 揺るぎなく構えた拳に纏う。

 夜よりもなお冥い。

 闇。


(殺意の......波動っ!!)

 即座に、ダルシムは覚悟を決める。

 先ほどまで語らっていた仙人とダルシムとは、一撃の間合いにある。体半分、いや数ミリ退いた瞬間に、死が叩き込まれるのは確か。ならば。

 ぱん。

 ヨーガの道を究めし僧の両掌が、顔の前で合わせられる。

 アグニの神へ祈るにも似た、格闘家ダルシムのいしずえたる構え。

 千回の、その千倍もの一撃を、この構えから放ってきた。

 死を纏った仙人の突きを、受けるも避けるもない。

 身を賭して。

 磨き抜いた一撃で。

(滅する......!)

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