The Side Readers

Side readers : 03 「冬の顔」(前)

冬の顔(前)

ホリデイシーズンを過ごすため、一人息子のメルを連れて郊外の別荘に滞在するケンとイライザ。
降り始めた雪が静かに積もる夜、警備をくぐり抜けた何者かが家屋に侵入してきた......

冬の顔(前)

 「はい、あなたたち」

 イライザが戸口に立って呼びかける。

「今日はおしまい。もう寝る時間よ、メル」

 夕食の後、いよいよ雪が本格的に降り出したのをみて、四歳のメルは父親の手を引いて外に連れ出した。ベッドに入るまでの間だけと約束して、ポーチの端に積もった雪で遊びはじめる。そうして父親と二人、小さな雪だるまスノーマンを作ってはパンチやキックで崩すというのを、かれこれ一時間も続けていたのだ。

「ほら、びしょ濡れじゃない」

 しぶしぶといった様子で部屋に戻ったメルを、イライザはタオルですっぽり包む。濡れた子犬みたいに震えながら、小さな息子は口をとがらせた。

「もう、ママ。もっとぼく、シュギョーしたかったのに」

「はいはい。修行はまた明日ね」

 苦笑しながら、イライザは小さな格闘家の髪を拭いてやる。

「ははは、そうだなメル」

 肩の雪を払って、ケンも部屋に入ってくる。身をかがめてメルと目を合わせると、拳を握って親指を立てた。

「今日の修行はばっちりだったぞ、メル。明日はもっとでかい雪だるまをやっつけような」

 メルはぱっと顔を輝かせる。

「ショーユーケンで?」

「そう、昇龍拳だ!」

 伸び上がったメルを、天に昇る龍のようにケンは高く持ち上げる。それから、ひょいと自分の肩に座らせた。

「でもメル、今日はもうベッドに行こうな。食べて寝て大きくなるのも修行だからな」

「わかった」

 こくりと頷いたメルの頭を、ケンの大きな手が撫でる。イライザは息子の柔らかな頬にキスをする。

「おやすみ、メル」

 それからケンは妻に少し目を向けて、踵を返す。肩に乗せた息子と何ごとか話をしながら部屋を出る。寝室のある二階へと階段を上がる足音が遠ざかった。二人を見送ったイライザは微笑んで、ほうと満たされた息をもらす。

 窓の外では暗い空から雪がひっきりなしに落ちてくる。見渡す限り続く敷地は、どこまでも真っ白だった。この様子だと、明日はケンのいうとおり、大きな雪だるまが作れそうだとイライザは思う。北東部ニューイングランド の冬の夜が、静かに深まろうとしていた。

 イライザは窓辺を離れる。ホリデイの飾り付けが済んだ広いリビングを横切って、暖炉のそばに足を運ぶ。よく乾いた薪をひとつ手にとって、火にくべる。そうして火に当たりながら、暖炉の上に並べたきらびやかなオーナメントを眺めていたら、ふいに後ろから抱きすくめられた。

「あっ」

 ケンだった。力強い腕が腰に回されて、分厚く堅い胸が背中を押すのを、イライザは感じる。少しの間、目を閉じて感触を味わったあと、口を開いた。

「......わんぱく坊やは、もう眠ったの?」

 首をくいと反らせて、イライザは背後のケンの顔を見上げる。

「ああ。メル坊ちゃんは、修行疲れでお休みさ」

 ケンが答えて目を細める。くすり、とイライザは笑う。

「なんだ、何か可笑しいか?」
 イライザはケンの腕の中で体を回して、正面で向き直る。それからもう一度笑って答える。

「メルと遊んでる時のあなた、すっかりパパの顔だったな、って」

 ああ、とケンも笑う。道を究めんとする武道家。全米格闘チャンピオン。マスターズ財団の血統サラブレッド。様々な顔を持つケンが近頃身につけた新たなひとつが、息子メルの父親としての顔だった。

「家族のためにパパをやるってのも、悪くはないさ。今年のパーティは家族を喜ばせようと、コスチュームも用意してあるんだぜ」

 いたずらっぽくケンがいう。イライザは腕を伸ばしてケンの首に回した。

「あら、そのコスチューム......、セクシーな戦闘服だったりするのかしら、格闘家ファイターさん?」

 答える代わりに、ケンはしなやかな腰を抱いた腕に力を入れる。イライザは間近から夫の顔を見上げる。まっすぐに見つめるケンの瞳に、暖炉の炎がひらめいている。この炎だとイライザは思う。この炎が私を夢中にさせたんだわ。

 情熱的で、派手好き、エネルギーの固まりみたいな、炎みたいな男。その男のいちばん熱い炎は瞳の奥に、心臓の奥にある。肌が触れあうほどに近づいても、誰もその炎のすべてを知ることはできない。

 ぱちり。

 暖炉で火が爆ぜる。

 イライザは強くケンにしがみつく。半ば開いた唇から吐息が漏れる。目を閉じ、ケンの炎にその身を投げ出そうとしたとき、物音がした。
「......?」

 そっと、イライザの体がケンから離される。

 一足早く気付いて、ケンは鋭い目を天井に向けている。音は、階上からだった。微かだけれど、確かに、何者かが移動するような音。メルが起きたのかしら。そういいかけたイライザの唇に、ケンは指を一本押し当てる。その顔に、先ほどまでの甘い笑みはない。
「上の様子をみてくる。何かあったらすぐに避難部屋パニックルームに行くんだ。いいな」

 有無を言わせない口調だった。ケンが脅威をかぎ取ったことが伝わって、イライザは体を固くする。パニックになりそうなのをおさえて、どうにかうなずく。

「よし」

 小さくいって、ケンは走り出す。毛足の長い絨毯の上を、音もなく遠ざかるその背中を追うイライザの目に、涙がにじんだ。メルを助けて。そう叫びそうになるのをこらえた。いわなくても、ケンがきっとそうしてくれる。


 足音を殺して階段を駆け上がりながら、ケンは考える。財団には、確かに敵は少なくない。契約書の外側でことを有利に運ぼうと、脅しをかけにやってくる連中がいても不思議はなかった。それとも......

 ケンの脳裏に、ひとつの組織が浮かぶ。シャドルー。強大ながら邪悪な格闘家として、武を歪める者としてケンの前に立ったその総統、ベガ。またしても暗躍をはじめた奴らの手が、ここに伸びたのだとしたら。


 ぎり。

 ケンは奥歯をかみしめる。家族に手は出させない。

 群れを護る獣の獰猛さが、ケンの顔に浮かんだ。

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